「言葉よりも行動」

私が社外取締役を務めていたある会社では、取締役会事務局と密に連携する管理部門の方々と良好な関係を築けていました。彼らは皆、私のメールアドレスを知っていました。
ある日、管理部門の方から内密に話をしたいと誘われてランチに行くと、 管理部門の方が2名で現れました。 聞くと、シニアマネージャー(Xさん)がある女性に対して何度も不適切な発言をしている、つまりある種のセクハラをしているという告発でした。問題は、Xさんが企画部門の責任者であるのみならず優秀であり、当時は非常に重要な取引を担当していたため、経験や知識を兼ね備えた後任をすぐに採用できないということでした。そのことを、その女性も知っていたため、会社を巻き込んだトラブルになったり、Xさんへの処罰は他の従業員の知るところとなるので望んでいませんでした。 彼女はただ、できるだけ静かに、不適切なコメントをやめてほしかったのです。
私はCEOのところに行き、私が聞いていることを伝えた上で、「Xさんと話をしてもらえませんか?何が真実かわかりませんが、疑惑があることをほのめかせば、実際に何かが起こっているのであればきっとやめてくれるはずです。」と。しかし、 数週間が経ってもX氏の行動は何も変わっていないことを、ランチで話した2名から知らされました。 そこで私は、再び社長のもとへ行き、聞いた話を伝えました。 そして、「彼の行動をやめさせなければ、次の取締役会でこの件を取り上げます」と伝えました。
それから1~2週間して、X氏の行動が即座に改善されたことを関係者から聞きました。
多くの読者にとって、自分の会社でこのようなことが起こるとは想像しがたいかもしれません。実際これは何年も前の出来事であります(しかし、あなたが思う以上に、今でもよくあることなのかもしれません。)。このような場合、透明性を確保しないことがガバナンスやコンプライアンスとして最適なのか、と思われるかもしれません。その通りで、ベストな振る舞いではないでしょう。なぜなら、会社は秘密裏に処理することで、自社の行動規範が実際に「効力がある」ことを公に示す機会も、それによってより高度のスタンダードを設定し、将来的に他の人が不適切な行動をとることを抑止する機会も失うからです。
しかし、この件のハラスメントの被害者にとって、問題は透明性や将来の抑止力の問題ではありません。必ずしも透明性を求めているわけではありません。 ただただ、問題の行為をやめてほしいだけなのです。そして、被害者の要望を最大限尊重する方法を見つけることができなければ、いずれ通報は少なくなってしまいます。 取締役、取締役会、経営陣は、この2つの相反する要請のあいだで繊細にバランスを取らなければなりません。結局のところ、ごく軽微な問題行動以外に正す必要がないほど健全で、透明性をおそれることのない企業風土を常に構築・強化することが最善の解決策なのです。
私はこの経験から、取締役事務局や彼らと共に仕事をする方たちは、役員室で起こっていることをすべて知っているようなものだと学びました。取締役の行動をすぐそばで見ていると、どの取締役が真剣に「正しいことをしよう」と尽くし、そのために行動を起こそうとしているのか、そしてどの取締役が動いてくれないのかがわかってきます。中には、取締役会メンバーについての自分の意見を共有する人もいるでしょう。機密事項を報告するためのルート(例えばホットライン)を信用しない従業員が、知り得た情報を社外取締役に伝えることによって事実上の内部通報を行うに至ることもあるのです。
私は、時間が許す限り、そして適切と思った場合は、アイデアや意見を共有するため社員に応援メールを送ったり、社員の活動について詳しく知るため直接会ったりするようにしています。私のことを、社員や会社のためになるよう動きたいと思っており、かつ、話しやすい存在と見てもらうためにです(虚心坦懐になって言えば、私自身、今よりもっとそういうことをすべきでしょう)。 私が今回のように連絡を受けたのは、私が動いてくれそうな取締役と見なされたからだったようです。
信頼されることはありがたいことです。しかし、部外者である以上、信頼を得てそれを維持するためには絶え間ない努力が必要です。 そのためには「言葉よりも行動」ということを忘れてはいけません。 難しいことでも、必要なことだと判断して行動すると、信頼されることとなります。
ニコラス・ベネシュ
(個人的な立場で書いており、いかなる組織を代表する立場ではありません)。
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