フクシマの教訓-日本は企業統治の向上を


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ニコラス・ベネシュ
2011年 6月 30日  19:11 JST  (WSJ)

原文 (英語)

過去3カ月、日本では東京電力に対するバッシングがすっかり定着した。東電幹部が、東日本大震災に伴う福島第1原子力発電所事故への対応を誤ったのはほぼ間違いない。しかし、東電について、問題を起こしたある1企業の話と片づけることはできない。そう考えるとしたら、最も重要な教訓を見落とすことになる。コーポレート・ガバナンス(企業統治)こそが問題だという教訓を。

未曾有の自然災害に備えることは、どんな経営チームにとっても難しい。しかし、東電の備えは、あるべき水準をさらに下回っていたと言ってもいいだろう。東電の最も重要な「災害対策」は、5.7メートル超の津波が福島では起きないことを前提としていた。その後の研究でこの前提が楽観的なものであることが示されたものの、2001年以降、これが再検討されることはなかった。このため東電は、防潮壁の高さを約7メートルのまま放置し、本来ならば高台に設置するはずの冷却システムのバックアップ用ディーゼル発電機は地下に置かれた。このバックアップ電源は、14メートルの津波にのみこまれることとなった。

こうした管理上の誤りは、さらに大局的な概念であるコーポレート・ガバナンスの失敗が招いたものである。企業の取締役会の義務とは、組織のトップとして方向付けを行い、定期的にリスクを見直し、以下のことを確実にすることだ。こういったことを実現するには、取締役会が持つ他の監督機能と同様、経営に疑問を投げ掛け、挑戦する姿勢が不可欠だ。東電の取締役会は、明らかにそのような認識を持ち合わせていなかった。

では何が問題だったのか。重要なのは、東電が他と無関係に企業活動を行ってはいないことを理解することだ。日本の法律の枠組みは、意味のあるガバナンスに役立っていない。たとえば、議決権を持つ独立取締役の最低人数の義務付けについて。他の国では一般的な原則だが、日本ではそういった義務はない。また、特別委員会を設置することで、独立取締役が取締役会のために厄介な監督機能を担うというメカニズムも、日本の法律は取締役会に認めていない。

福島原発事故の問題が、1企業の問題ではなく、日本の企業統治システム全体の問題であること最もよく示す証拠としては、東電が9年にわたり内部改革努力を集中的に行ったにもかかわらず、福島の危機を避けられなかったことが指摘できる。2002年、ある内部告発者は、東電の福島原発に関する2つの虚偽報告を明らかにした。これをきっかけに、他の27の安全報告書の不正が暴かれ、17基の原子炉が運転停止、東電は世論の非難にさらされた。

これに対して東電は、議決権のない外部監査役を増やすことで対応した。また、企業の行動指針を定め、それを実行するために倫理委員会を設置した。経営陣は「企業風土の改革」と「国民の信頼回復」を明確な目標として掲げた。

 しかし、法や規制の変更がなければ、コーポレート・ガバナンスの再建に向けた企業のどんな試みも上手くはいかない。それは、麻薬中毒患者が同様に中毒の友人と一緒にいながら薬から抜け出そうとするようなものだ。手本となるべき者がなく、悪い友人の誘惑だらけ、といった状態だ。

懸念されるのは、東電の問題について、政策立案者が、システミックな問題を無視し、単なる1企業の問題として片づけようとしていることだ。

日本で今、会社法の改正が行われていることを考えれば、事態はさらに深刻だ。政策立案者が東電の過ちから学ばなければ、ここで大きなチャンスを逃すことになる。

少なくとも、独立取締役の義務づけを法制化すべきだ。3月時点の東電の役員数は27。これだけの人数がいても、議決権のある取締役20人のうち18人は社内出身者で、監視は十分ではない。外国人や女性の役員もゼロ。2人の社外取締役のうち、1人だけが原子力事業について知識を持っていた。

日本政府は、上場企業の取締役の半数もしくは半数以上を独立取締役にするよう義務付けるべきだ・そして、取締役会がその役割を効果的に果たせるよう、法律上認められた委員会の設置を取締役会に認めるべきだ。企業に対して、取締役の訓練と持続的な教育に関する情報開示を義務付けることも必要だ。こうした改革を経て初めて、日本は世界の先進国の大半(および新興国の多く)の資本市場と肩を並べるようになる。

また日本は、内部告発者の保護強化も検討する必要がある。このような対策によって、日本は国際慣行の最先端にかなり近づくことができる。

2002年のスキャンダルは東電の社員ではなく、納入業者の元社員によって露呈したが、現在の法律では保護の対象外となってしまう。

東電の6月28日の株主総会への招集通知は、日本が企業統治の体制を変えなければ何が起こるかということを暗示していた。新たな取締役会の構成は、逆戻りするかのごとく、議決権のあるメンバー17人のうち1人を除き全員が、東電に「一生を捧げた人々」だ。そして、取締役会が設置する委員会はすべて、東電に変革を強いる法律的な根拠を持たない。同時に他の企業も改革を強いられないかぎり、東電、あるいは他の企業の緊迫感が再び失われる可能性は極めて高い。

(筆者のニコラス・ベネシュ氏は公益社団法人・会社役員育成機構(BDTI)の代表理事を務めている。)